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Born from Racing

情熱の走りよ、魂を揺さぶれ。そして、極限の興奮を呼び覚ませ。

100年を超える歴史の中で、
サーキットで勝ち取ってきた栄光。
勝利への執念と革新技術によって追求した、極限の走り。
そこに注ぎ込まれた狂おしいほどの情熱は、
數多の名車たちを生み出すエッセンスとなっていった。
そう、幾多の困難に見舞われようとアルファ ロメオは、
不滅のレーシングスピリットによって世界中を熱狂させ、
その命脈を受け継いできたのだ。

そして迎えた、新たなる覚醒の時。
30年以上の時を経て、アルファ ロメオは
フォーミュラ1への復帰を果たした。

ここに宣言する。
アルファ ロメオはその原點を見つめ直し、
さらに研ぎ澄ました情熱の走りによって、
あなたの魂を揺さぶり、
極限の興奮と歓びを呼び覚ましていく。

Racing INFORMATION

アルファ ロメオ レーシング
その熱き挑戦の軌跡

Racing TEAM

情熱の戦士たち

“アイスマン”というニックネームとは裏腹に
熱い情熱の走りを見せるキミ?ライコネン。
そしてイタリアの新鋭、
アントニオ?ジョヴィナッツィをはじめとする
アルファ ロメオ レーシングの強者たち。
その戦績やヒストリーを紐解く。

Racing MACHINE

Alfa Romeo Racing C39-Ferrari

2019年シーズン全21戦を戦う最新マシン『C39』

Racing HISTORY

  • アルファ ロメオ時代のエンツォ?フェラーリ
  • ブラバム-アルファ ロメオ BT-45

F1創世記の英雄たち

1950年5月13日、イギリス?シルバーストン
サーキットで行われた初のF1グランプリは、
ジュゼッペ"ニーノ"ファリーナが乗る
「Tipo 158 ”アルフェッタ”」が勝利。
この年のアルファ ロメオの強さは圧倒的で、
全7戦中、參戦した6戦すべてに優勝。
ファリーナは年間チャンピオンの座に輝いた。

栄光の第一歩

1951年のF1シーズンを戦ったアルファ ロメオの
ドライバーたち。左からルイジ?ファジオーリ、
この年のチャンピオンとなったファン?マヌエル?
ファンジオ、前年のチャンピオンである
ジュゼッペ"ニーノ"ファリーナ。
彼らは共通するイニシャルから
「スリー?エフ(3F)」と呼ばれた。

「私は母を殺してしまった」

前年に続き1951年にF1の年間王者に輝いた
アルファ ロメオだが、シーズンで唯一
土をつけたのが、かつてアルファ ロメオに
所屬していたエンツォ?フェラーリのチームである。
勝利の瞬間、エンツォは涙を流しながら
「私は母を殺してしまった」と語ったという逸話は、
あまりにも有名である。

過渡期における挑戦

1951年のF1撤退後、アルファ ロメオは
1976年よりエンジンサプライヤーとして
F1に本格復帰。1977年の日本GPでは「ブラバム-
アルファ ロメオ BT-45」で7位入賞を果たす。
1979-85年は自身のワークス體制で
F1に參戦したが、皮肉にも日本GPの
休止期間中であり、日本のファンが
その勇姿を目にすることはなかった。

復活の狼煙

2017年11月に行われた記者會見にて、
アルファ ロメオは三十數年ぶりとなるF1への
カムバックを発表する。當時のFCAグループ
CEOであった、故セルジオ?マルキオンネは
「アルファ ロメオは、そのユニークかつ
伝説的な歴史に、新たなチャプターを描くことを
固く決意している」と語った。

時代を超えた情熱の証

2019年のイギリスGP。F1史上初の
レースである1950年の同GPで優勝を飾った
アルファ ロメオの栄譽を讃え、パレードランが
行われた。そこに登場したのは、ファン?マヌエル?
ファンジオを1951年の年間王者へ導いた
「Tipo 159 “アルフェッタ”」。
ドライバーはキミ?ライコネンが務めた。

Formula 1Japanese
Grand Prix 2019
Archive

2019年 フォーミュラ1
日本グランプリ
アーカイブ

2005年の日本 GPで、いまだ語り継がれる
“伝説”を殘したキミ?ライコネンと
イタリアの新鋭、
アントニオ?ジョヴィナッツィが
鈴鹿に登場した、
2019年の日本GP。
ここでは、レース前に公開された
アルファ ロメオ レーシングの
関連記事をご紹介。

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